ポリネシアカルチャー

世界を変えたライエ出身の4人

ハワイの小さな町出身の4人が世界を変えた話

ホノルルの喧騒から遠く離れ、静かな田舎町ライエはオアフ島北側の海岸沿いに位置しています。道路の数はおよそ1ダース。ライエは、典型的なハワイの小さな田舎町であると言えます。しかし、このちっぽけな町が、歴史に名を残す偉大な人物を少なからず生みだしました。ハワイ文化やポップカルチャーに永久に残る影響を与え、世界中で認められ、取り入れられたのです。

これからお話しする人物について、皆さんは名前も聞いたことがないかもしれません。しかし、成し遂げた事柄については知っていることでしょう。スティールギターの奏でる音楽に耳を傾けたことはありませんか?「Hang Loose」(ハワイではシャカサインとして知られています。)のハンドサインをしたことはありませんか?このような人気の文化を作り出した功績は、実は小さな町ライエとそこで生まれた人たちが発端となっていたのです。彼らは、生を受けた田舎町を遥かに超え、多くの人にインパクトを与えています。

ジョセフ・ケクク (1874-1932)

スティールギター(ハワイアンミュージックで用いられる独特で余韻の残るギター)の発案者であるジョセフ・ケククは、ハワイアンミュージックのレジェンドであり、ライエ出身です。わずか13歳の時にスティールギターを発明しました。

1889年、オアフ郊外で若いティーンエイジャーだったケククは、相棒のギターを抱えて埃まみれの道路を歩いていました。すると、地面に錆びついた鋼製のボルトが落ちているのを見つけました。ケククはボルトを拾い上げました。その時、間違えてギターの弦にボルトをぶつけてしまったのです。—そして、その発せられた音に魅了されてしまいました。それからというもの、ギターを膝の上に乗せて座り、ポケットナイフ、鋼製のくしなどあらゆる鋼製の物を使ってさらに練習を重ねました。まもなく、ケククは現在使われているスティールギター用の鋼製バーを発明しました。そして、そのスタイルが現在でもスティールギターを演奏する際に使われています。

偉大な名誉と富を得たケククは、1920年代から30年代にかけて、自身のギターグループであるケクク・ハワイアン・クインテットを率い世界ツアーを行いました。1930年代に起きたエレキギターの発明によって、スティールギターへの関心は高まりました。スティールギターは、ハワイアンミュージックやサーフミュージックで人気があった他、カントリーミュージックやウェスタンミュージックでも頻繁に使われました。スティールギターの音をご存知ない方は、1959年の伝説の歌“Sleep Walk” by Santo & Johnnyを聞いてみることをお勧めします。数多くの有名なポップシンガーたちによって繰り返しカバーされている一曲です。

ケククの銅像は、ライエにそびえ立つ、と言うよりは、膝の上にギターを乗せて演奏する様子を描いているため、むしろ座っています。スティールギターを発案した人物の隣に座って記念写真を撮ることができます。

ハマナ・カリリ(1882-1958)

Hamana Kalili Statue
ポリネシア・カルチャー・センター内で「シャカサイン」をしているハマナ・カリリの銅像に出会えます。(写真提供:Mike Foley)

シャカサインまたは「Hang Loose」は、20世紀が産んだ伝説の漁師ハマナ・カリリに由来すると言われています。このサインは、ハワイのアロハスピリット、親しみやすさ、幸せを表す万国共通のシンボルとなっています。

しかし、カリリがシャカサインを始めた元々の理由は、幸せとは程遠いものでした。気の毒なことに、製糖工場での事故で真ん中の3本の指が切断されてしまったのです。

この出来事は、カリリのポジティブな気質を挫くことはありませんでした。カリリは、「親指と小指を突き出す」ジェスチャーを挨拶として使いました。その様子は、ローカルの子どもたちと第二次世界大戦後に押し寄せたアメリカ本土からの観光客たちの目に留まりました。シャカは、現在でもハワイ諸島中の至る所で日常茶飯事に使われています。カリリの銅像も、ライエにあります。

チャールズ・C・K・グー(チャーリー)(1915-2010)

生前は、チャーリー・グーと言うシンプルな呼び名で知られていたこの人物は、 1950年代のライエで一番人気の食糧雑貨店を経営していました。食料品、コンビニ、日用雑貨を兼ねた店は、グー・ストアとかオールド・プランテーション・ストアと呼ばれていました。スーパーマーケットが出現する前の時代でしたので、ライエでの生活には必要不可欠な店でした。グーは、最も貧しいライエの住民にツケで払わせてあげました。そのうちの多くがお金を返さないであろうことを知りながらもそうしたのです。グーは損をしましたが、コミュニティに与えるのを決してやめませんでした。

「与えることでさらに祝福を受けました。」と、グーは1987年に地元の新聞記者に語りました。「あの経験があって良かったです。」

グーの気高さと寛大さに敬意を表し、フキラウ・マーケットプレイスにある土産店はグーズ・プランテーション・ストアと名付けられ、現在でもその名前は語り継がれています。

アンティ・ノナ・ワーナー

アンティ・ノナ・ワーナーは、ライエにあるポリネシア・カルチャー・センターの仕立てと裁断のマスターとして50年近く働きました。ポリネシア・カルチャー・センターで開催されるルアウやショー用の従業員のユニフォームや衣装を手作りしました。その数は数万にも上ります。型紙を使わず、フリーハンドで衣装を縫うこともよくありました。

フキラウ・マーケットプレイスにある南国リゾートウェアの店ノナズ・トロピカル・スレッズはアンティ・ノナにちなんで名付けられ、現在でもその名が讃えられています。

これまでご紹介してきた人たちのエピソードを読んでお分かりのように、現在では新しい店やレストラン、規模の大きい施設やより良いものが増えましたが、ライエには慎ましやかなルーツがあるのです。オアフ島ノースショアの美しさとライエに受け継がれる伝説の遺産を肌で感じにお越しください。

関連記事

  1. ポリネシアカルチャー

    サモアの伝説-カメとサメの物語

    ポリネシアの伝説シリーズに貢献してくださったポリネシア・カルチャー・…

  2. ポリネシアカルチャー

    タヒチ:ティアレの花の伝説

    格調高いティアレの花についてお話しさせてください。ティアレ・タヒチと…

  3. ポリネシアカルチャー

    フィジーの伝説:ヴァトゥレレの赤いエビ

     この伝説には、様々なバージョンがあります。当記事で述べられている伝…

  4. ポリネシアカルチャー

    タ・モコ:マオリの伝統タトゥー

    ニュージーランドの小説家ケリ・フルメが書いた本、「ボーンピープル」、…

  5. ポリネシアカルチャー

    マオリの伝説:キウィバードが翼を失った理由

    ニュージーランドの国のシンボルはキウィバードです。国の切手のイラスト…

  6. ポリネシアカルチャー

    オハナ=家族

    ハワイでは、家族以上に愛を反映するものはありませんハワイ…

おすすめ記事

最近の記事

  1. コロナ禍の中で感じるアロハスピリット
  2. パイナップル・サルサ
  3. コロナ禍の卒業式—ポリネシア・カルチャー・センタ…
  4. 世界を変えたライエ出身の4人
  5. ファイカカイ・トパイ– トンガ発・ココナッツキャラメル味のお…
  1. PCCスタッフ

    1分間インタビュー:カルチャープレゼンテーション部長 デルサ・モエ
  2. 最新ニュース

    2019年に活躍したポリネシア出身のフットボール選手たちの栄誉を称える
  3. 最新ニュース

    コロナ禍の卒業式—ポリネシア・カルチャー・センター・スタイル
  4. ポリネシアを食べる!

    ハワイアンココナッツシュリンプ レシピ
  5. ポリネシアを食べる!

    ポケ−シンプル・新鮮・アロハスピリットあふれる一品
PAGE TOP