「100年間の祝福、100年間の喜び」
フラの動きに意味があるということは周知の事実ですが、パフォーマンスそのものに意味があり、物語を語ることさえあります。しかし、フラの中には、現在の生活やイベントを描いた物語もあることには気づかないかもしれません。
ポリネシア・カルチャー・センター(PCC)のクムフラ(師匠)であるポマイカイ・クルーガーが、制限時間のないフラと歌のホイケ(もしくは賛辞)の一部として、パフォーマンス「丘の上の光(A Light On a Hill)」を編纂し発表するよう、最近ひらめきを感じた理由がそこにあります。クルーガーは、2019年11月26日、PCC内ハワイアン・ジャーニー・シアターで、PCCのハラウであるフイ・ホオウル・アロハ(PCCの従業員、ブリガム・ヤング大学ハワイ校の生徒たち、地元のコミュニティのメンバーたちで構成されたグループ)とブリガム・ヤング大学ハワイ校のハワイアンクラブのダンサーたち、ライエを拠点としたフラ・ハラウ・オ・ケケラ、その他のメンバーをまとめ、パフォーマンスを披露しました。
神殿100年祭
今回のホイケとメレ(歌)に関して、1850年以降続いてきたハワイの末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史を、「愛されてきたライエ・ハワイ神殿」100周年記念にリンクさせて披露したことは、「献身の表れの一つにすぎません。」とクルーガーは説明しました。

PCCのオプショナル・ライエ・ツアーのコースの一部となっているライエ神殿を、教会の大管長が奉献したのは、1919年の感謝祭の日のことでした。その当時、教会によって世界で5番目に建てられた神殿であり、北アメリカ以外の場所に建設された最初のものでした。一時は、ハワイ全土、太平洋の島々、アジアに住む献身的な会員たちの奉仕の場所となりました。
教会員たちは、今年(2019年)1年間を通じて、神殿100年祭を祝ってきました。
クルーガーとライエの地、そしてフラにつながる絆

プログラムを紹介するにあたり、クルーガーは、自身のハワイの血統のクプナ(先祖)は「1700年代後半に初めてライエに移り住みました。」と説明しました。クルーガーのオハナ(家族)の中には、現在でもライエのコミュニティに住んでいるメンバーもいることを付け加えました。「家族の中には、クムフラも何人かいて、芸術形式を教え続けています。」とクルーガーは語りました。
「ここでフラ・マスターになるということは、後継者として高い期待に応えなければならないことを意味します。そして、このような受け継ぎを伝えてくださった方々にとても感謝しています。」 例えば、センターのクムとしてフルタイムで働くようになって間もなく、クルーガーは、1979年に初めて結成されたフイ・ホオウル・アロハを再興しました。フイ・ホオウル・アロハは、結成当初、主にクムフラであるサイ・ブリッジズ(現在ではセンターを引退しています。)の指導のもとで素晴らしい成功を収めていました。しかし、2017年8月にクルーガーが復興させるまでのおよそ20年間衰退していました。
「丘の上の光(A Light on A Hill)」に向けて新しいフラを教えたり、他の参加グループと調整を図ったりすることに加え、クルーガーは、自身の作曲した12曲の新曲を含め、計17曲の編纂にも取り組み、バックグラウンド・オーディオテープに事前に歌を収録しました。
クルーガー、感謝の意を表す

4名のミュージシャン、3名のナレーター、19名のフイ・ホオウル・アロハのメンバー、16名のブリガム・ヤング大学ハワイ校のハワイアンクラブのメンバー、11名のその他のPCCをサポートするメンバーが、プログラムに名を連ねました。
「この作品を形にするために差し伸べられた数え切れないほどの助けの手に感謝の意を表します。」クルーガーは、(助けの手を差し伸べてくださった方々の)貢献は全て、「ライエ神殿の美しさ、喜び、神聖さに対して、私たちの文化的なレンズを通して捧げた謙遜な捧げ物」であると表現しました。
「私のクムフラとしての望みは、次の世代の子どもたちが、私たちが神殿をどれほど大切に思っているかを知ってもらえるように目印を残すことです。」