ポリネシア・カルチャー・センターについて

ポリネシア・カルチャー・センターってどんなところ?

Top Polynesian Cultural Cnenter Hamana Kalili Polynesian Polynesian Craft of Polynesia Canoe Ride

ポリネシア・カルチャー・センター は、オアフ島の北部ノースショアにある町、ライエにあり、ワイキキから約70分の場所に位置します。5万坪の敷地にポリネシアを代表する6つの島々、サモア、アオテアロア(ニュージーランド)、フィジー、ハワイ、タヒチ、トンガを、それぞれ村と見立てて再現。偉大なるラパ・ヌイ(イースター島)のモアイ像やマーケサスの島の様子も展示しています。
ハワイ州政府のリサーチでは、1977年以来、ハワイで最も人気のある有料アトラクションに挙げられており、また「ホノルル・マガジン」誌の読者が選ぶベスト・オブ・ホノルル2015,2016では「ベスト・アトラクション」に選ばれました。

世界最大のポリネシアン・ショー「HĀ:ブレス・オブ・ライフ」

about

「HA:ブレス・オブ・ライフ」は、世界最大のポリネシアンダンスショー。「HĀ:ブレス・オブ・ライフ」。
100名以上ものキャストとテクノロジーを駆使した、未だかつて観たことのない90分。シーンの移り変わりをアニメーションで表現するなど、日本人のお客様にもお楽しみいただける工夫が織り込まれています。また、噴火する火山、巨大な滝、噴水など舞台セットにも注目です。そのすべてを、2,675名収容可能な劇場「パシフィック・シアター」にて、ぜひお楽しみください。

その他見どころと各施設について

about

1963年にオープンしたポリネシア・カルチャー・センターは、2003年にモアイ像、家屋、ラパ・ヌイの生活様式を含む展示と、ポリネシアの文化を代表する島からの美術品やポリネシアの航海カヌーのレプリカ、そしてルアウ会場であるハレ・アロハを改築。
2008年にライエの町で彫り上げられた木造のハワイアン航海用カヌー「イオセパ号」は、ブリガム・ヤング大学の航海実践授業時以外、ハワイ村のイオセパ展示場「ハーラウ・ヴァア・オ・イオセパ」にてご覧いただけます。
50周年を迎えた2013年より各村の改築工事が終了。 また、新たに”ウクレレ・エクスペリエンス”とフキラオ・マーケット・プレイスがオープン。
パーク内のゲートウェイ・レストランは、元ディズニーの建築家が手掛け、改築されました。合計28のビュッフェトレーが並べられ、748名もの人が食事を楽しめる広さを持ちます。レストラン内部の壁には、ハワイ王族がハワイに移民してきた人々を歓迎しているシーンや、ポリネシア各国の民族が描かれています。
イリマ賞を獲得したアリイ・ルアウでは、ハワイの伝統的な食事とエンターテイメントによって、まるでハワイ王族の宴会に迷い込んだような雰囲気をお楽しみいただけます。
また、PCCでしか観れないカヌー・ショー「レインボー・オブ・パラダイス」も見どころのひとつ。その国・地域独特の音楽や歌、ダンスをぜひご鑑賞ください。
他にも各村に設置されているギフトショップやパシフィック・シアター横のショッピングエリア「フキラウ・マーケットプレイス」では、お土産などをご購入いただけます。パウンダーズレストランやその他フードトラックもあるので、センターに車で来られる際には、お昼は是非こちらでどうぞ。

設立の目的とヒストリー

about

ポリネシアの島々の文化の違い、力強い精神を世界の人々と分かち合うことができるユニークな文化遺産となること。また、末日聖徒イエス・キリスト教会の協力でポリネシア文化を保存、再現すると同時に、隣接するブリガムヤング大学ハワイ校の学生への奨学金、そして仕事の場を与えることを目的に設立されました。
約1,000名の社員は、750名の世界70ヶ国の学生と、アメリカの様々な州から来た学生とで構成されています。



ライエゆかりの人々

フキラウ・マーケットプレイスには、ライエゆかりの人々を記念する像や施設があります。

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ジョセフ・ケククの像

ライエはスティールギターが誕生した場所。ライエ出身のミュージシャン、ジョセフ・ケククによって、スティールギターが考案されました。

園内マップ E

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ハマナ・カリリの像

ポリネシア・カルチャー・センターがあるライエは、いまや世界的に知られている「シャカ」サインが誕生した場所。サトウキビ工場で働いていた時にローラーに手をはさんでしまい、親指と小指だけになってしまったハマナ・カリリが通行人や観光客に2本指だけの手を振って挨拶をし、それに2本指で応えたことから「シャカ」サインとして知られるようになりました。

園内マップ E

アンクル・ファイブ・セント
Uncle Five Cents

ライエポイントの山側にある海に向かって開いた溶岩トンネル「ビューティホール」は、何年も昔、泳ぐのに最適の場所でした。若かったトーマス・ハアヘオ・アウ(1913年~1991年)は泳ぎがとてもうまく、観光客がその穴に投げ込んで沈んでいるコインを取ってきていたため、「ファイブ・セント」(5セント)というニックネームが付きました。アウと地元の子供たちは、そのコインで隣のライエ・キュリオスでお菓子を買っていました。アウが大人になると、地元の人たちはアウを「ファイブ・セントおじさん」(Uncle Five Cents)と呼ぶようになりました。彼はハワイアン・スチールギターも覚え、ポリネシア・カルチャー・センターでもその腕前を披露していました。