ポリネシア・カルチャー・センターについて

ポリネシア・カルチャー・センターは、東京ドーム約3個分の広さを持つ体験型テーマパークです。ハワイでここだけしかない、ポリネシアの伝統ダンス、音楽、フードを、ぜひお楽しみください。

ポリネシアン・カルチャー・センター
開園日時:月〜土 11:45 – 21:00
休園日:日曜・感謝祭(11月の第4木曜日)・クリスマス(12月25日)

PCCってどんなところ?

Top Polynesian Cultural Cnenter Hamana Kalili Polynesian Polynesian Craft of Polynesia Canoe Ride

ポリネシア・カルチャー・センターは、オアフ島の北部ノースショアにある町、ライエにあり、ワイキキから約70分の場所に位置します。5万坪の敷地にポリネシアを代表する6つの島々、サモア、アオテアロア(ニュージーランド)、フィジー、ハワイ、タヒチ、トンガを、それぞれ村と見立てて再現。偉大なるラパ・ヌイ(イースター島)のモアイ像やマーケサスの島の様子も展示しています。
ハワイ州政府のリサーチでは、1977年以来、ハワイで最も人気のある有料アトラクションに挙げられており、また「ホノルル・マガジン」誌の読者が選ぶベスト・オブ・ホノルル2015,2016では「ベスト・アトラクション」に選ばれました。

世界最大のダンス・ショー「HĀ:ブレス・オブ・ライフ」

about

300万ドルをかけて創り上げられた世界最大のポリネシアンダンスショー。「HĀ:ブレス・オブ・ライフ」。
100名以上ものキャストとテクノロジーを駆使した、未だかつて観たことのない90分。シーンの移り変わりをアニメーションで表現するなど、日本人のお客様にもお楽しみいただける工夫が織り込まれています。また、噴火する火山、巨大な滝、噴水など舞台セットにも注目です。そのすべてを、2,675名収容可能な劇場「パシフィック・シアター」にて、ぜひお楽しみください。

その他見どころと各施設について

about

1963年にオープンしたポリネシア・カルチャー・センターは、2003年にモアイ像、家屋、ラパ・ヌイの生活様式を含む展示と、ポリネシアの文化を代表する島からの美術品やポリネシアの航海カヌーのレプリカ、そしてルアウ会場であるハレ・アロハを改築。
2008年にライエの町で彫り上げられた木造のハワイアン航海用カヌー「イオセパ号」は、ブリガム・ヤング大学の航海実践授業時以外、ハワイ村のイオセパ展示場「ハーラウ・ヴァア・オ・イオセパ」にてご覧いただけます。
50周年を迎えた2013年より各村の改築工事が終了。 また、新たに”ウクレレ・エクスペリエンス”とフキラオ・マーケット・プレイスがオープン。
パーク内のゲートウェイ・レストランは、元ディズニーの建築家が手掛け、改築されました。合計28のビュッフェトレーが並べられ、748名もの人が食事を楽しめる広さを持ちます。レストラン内部の壁には、ハワイ王族がハワイに移民してきた人々を歓迎しているシーンや、ポリネシア各国の民族が描かれています。
イリマ賞を獲得したアリイ・ルアウでは、ハワイの伝統的な食事とエンターテイメントによって、まるでハワイ王族の宴会に迷い込んだような雰囲気をお楽しみいただけます。
また、PCCでしか観れないカヌー・ショー「レインボー・オブ・パラダイス」も見どころのひとつ。その国・地域独特の音楽や歌、ダンスをぜひご鑑賞ください。
他にも各村に設置されているギフトショップやパシフィック・シアター横のショッピングエリア「トレジャーズ・オブ・ポリネシア」では、手作りのクラフトグッズや南大平洋の島々から輸入された珍しい雑貨などをご購入いただけます。

設立の目的とヒストリー

about

ポリネシアの島々の文化の違い、力強い精神を世界の人々と分かち合うことができるユニークな文化遺産となること。また、末日聖徒イエス・キリスト教会の協力でポリネシア文化を保存、再現すると同時に、隣接するブリガムヤング大学ハワイ校の学生への奨学金、そして仕事の場を与えることを目的に設立されました。
約1,000名の社員は、750名の世界70ヶ国の人々と、アメリカの様々な州から来た学生とで構成されています。

末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師が、タヒチとその周辺のポリネシア諸島に上陸
当時サンドイッチ島と呼ばれたハワイに、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師が上陸
末日聖徒イエス・キリスト教会がオアフ島北部のライエの町に、ハワイの教会員が集まり助けあえるよう700万坪の土地を購入
ライエに末日聖徒イエスキリスト教会の神殿建築工事着工
11月25日、感謝祭の日に神殿完成
末日聖徒イエス・キリスト教会宣教師達は、主なポリネシア諸島の人々と生活を共にし、現地の言葉を話し、教会の教えを分かち合い始める
小さな町ライエは太平洋の「人種のるつぼ」と 呼ばれ、国際色の豊かな町となる。
末日聖徒イエス・キリスト教会の若いリーダー、デビッド・オー・マッケイは、各国からの子供達がアメリカの国旗に敬礼を捧げる姿を見て深く感動。現在、BYUハワイ大学のマッケイフォイヤー入口に、その当時の光景がモザイク画で描かれている。マッケイはライエに作られた信仰の象徴である神殿に続き、教育の必要性を感じ、ライエが信仰と教育の中心となることを望む
基金調達の目的でライエの町の教会員の間で始められたフキラウ(ルアウとエンターテイメントで飾られたフィッシングフェスティバル)が観光客の目をひく
当初より有名になったハワイの歌「フキラウでルアウを」の歌声にのせ、多くのバスに乗った観光客が大学へ通うポリネシア人の学生による「ポリネシアン・パノラマ」を見学しにライエを来訪。ポリネシア・カルチャー・センター建設の目的で、これらのアクティビティーは新しい企画へと発展していく
末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長となったマッケイは、ハワイの教会教育大学運営の指揮を執る同年、マッケイは多くの島からの若者に、勤労宣教師として大学キャンパスの建設に携わるよう求める。優れた建築家らの指揮のもと、大学の建築は進められる。棟上式の際、マッケイは、この大学で学ぶ学生が、将来何万人もの人々に与える影響が偉大なものになることを望む。
マッケイが初めてライエを訪れた頃、マシュー・カウリーというもう一人の若者が、ニュージーランドでの宣教を終え、マオリ人や他のポリネシア人に対して親愛と敬意の念を抱く。時が経ち、伝統や文化の対立が目立ち始めた頃、カウリーは末日聖徒イエス・キリスト教会の重要なリーダーとなる。カウリーは「ニュージーランドのマオリ人が美しく彫刻されたマオリ風の建物でできた小さな村をライエに持ち、トンガ、タヒチ、サモアなど太平洋に位置する島々が小さな村をライエにもつ日がくるのを心待ちにする。」とホノルルで演説する。カウリーは彼の望みが叶うのを待たずに他界するが、計画を進めていた人々の心に深く伝わり、現実的なプランが日の目を見る
マッケイ大管長がポリネシア・カルチャー・センター(Polynesian Cultural Center)建設に許可を下す。彼はセンター完成が素朴なライエの町に住む学生の資金援助、そして勤労経験も教育の一つと考える
またしても100名以上の勤労宣教師の助けにより、初めは1.5万坪のタロイモの水田だった土地に39軒の建物を建設。腕のよい芸術家がポリネシアの島々から材料を集め伝統的なポリネシアの家や村を形どおり再現し、1963年10月12日ポリネシア・カルチャー・センターとしてオープンする。オープン当初は、土曜日以外は600名着席可能のナイトショーを見学者でうめることは不可能だったが、ハワイ旅行のブームやハリウッドボウル、そしてテレビのエドサリバンショーなどの影響により、センターへの入場者が急増し始める。1970年近くには、ナイトショーの座席数が1,300席まで増やされ、日曜日以外の毎晩、そしてピーク時には一晩に2回上演された